大掃除で懐かしいものを発見し、はじめて転職した時のことを思い出しました。
僕が初めて転職をしたのは24歳の時です。遡ること22年前です。そんな昔話なので令和の時代には通じないかもしれませんが書いてみます。
大学卒業後、入社した会社は、手芸や服飾雑貨、ホビーを扱う店舗を展開する企業。入社時点でいわゆる総合職と一般職的な区分けがあり、僕は総合職でした。うまいこといけばバイヤーとして海外に行けたりかっこいい営業マンとして活躍できるはずだったのですが、店頭→最終的には地下の倉庫で納品された商品の管理をしていました。
とにかく休みが少なく、年間で休めた日は80日を切っていたのでひどく疲れていたと記憶しています(多分今は改善されていると思う)。そんな環境ですので退職する同期も多く、自然と自分も転職を考えるようになっていました。
当時僕はグラフィックデザインに憧れを持っていました。求人雑誌を見ながらどうしたらなれるのかと自分なりに情報を探していました。
※当時はネット求人もエージェントもまだ未発達でした。1996年〜1998年なので携帯電話がようやく普及しだした頃で、ネットも激遅いものでした。たしか電話回線使うのが主流だったような。
ただ、業界自体に求人が少なかった、あるいは探せなかったことに加えて未経験で仕事をするための情報はほぼ流通していませんでした。ただ、有名なクリエイターの仕事ぶりを発信する雑誌などは存在していました(MdNとか)。なのでグラフィックの雑誌を買いあさり、経験もないのに一方的に憧れを持っていました。夢と希望だけ膨らませていったわけですね。
どうしたらいいのかと悩んだ末、社会人向けのスクールに通うことにしました。
いまいま冷静に考えてみると、本格的な実務スキルが身に付くスクールではなく資格取得のためのカリキュラムだったような気もしますが、22-23歳当時の僕にそのようなものを判断する能力はありませんでした。
学校のカリキュラムを卒業すると自動的に職業紹介もしてくれるというではありませんか。素晴らしいこれだ!と僕は入学を決めました。
でも仕事をしながら上記の勤務体系では学校に通えません。そこで僕は当時としては驚くべきバイタリティを発揮します。
上司に「もう出世はいいので一般職に落としてくれ」と出世するかどうかもわからないくせに申し出たのです。アホですね。恥ずかしい。真似したくない。もう少し言い方があったと思う。
あまり仕事ぶりにやる気を感じていなかったのかまさかの快諾をされ、休暇数や勤務時間を向上させた僕は働きながら週1-2ペースでの通学をはじめました。とはいえ一般職になっても休みは少ないのでそれくらいが限界でしたが。
学校自体は面白かったです。簡単に説明するとDTPエキスパートという資格を取得するための講座でしたので実践的な授業がほぼなかったのですが、当時何も知らない僕にはその学校での全てがグラフィックの業界に通じる道でした。途中から、あれ?これで仕事できるのかなとは感じていましたけど。
半年くらい卒業にはかかったと思いますし、なけなしのお給料をほぼ全て投資していました(当時高かったMacも買いました。いまは10万台で買えますが、当時は50万くらい投資した気がする。単身赴任していた父親と姉と同居していたので実現できていました)。
それで卒業したわけですが、肝心のスクールからの職業紹介。。。。「未経験系は今少ないんですよ。良いものがあったら紹介できますが、自分でも探してくださいね。」
嘘!?
と思いました。これまで投資してきた全てもこの就職を目指していたところもあるので愕然としたことを覚えています。ショックでした。資格などとったところで屁の突っ張りにもならないことを思い知らされました。
ちくしょう早く言って欲しかった。当時の経験があるから資格をとれば就職に有利というスクール系の広告の嘘を見抜くことができるようになったので良いのですが、20代の僕にはあまりにも高い投資でした。
それでも諦め切れない僕は自力で応募もしてみたのですが、書類さえ通らない。落選したことさえ連絡も無い状況でした。それでもまだどこでもなんでもいいからグラフィックの世界に行きたい。その思いだけでむずむずした毎日を過ごしていました。
結果としては業界に入ることができたのですが、それは偶然が重なってのことでした。
当時のスクールの講師をしていた方が当時では珍しくフリーランスのグラフィックデザイナーだったのですが、頼る人がいない僕はその先生にどうしたらこの業界に入れるんでしょうかと泣きつきました。
しばらく考えた先生は
「まず実績がない。ポートフォリオも学校の授業レベルのではダメ。ちゃんと公に出ているものを作らないと」
とおっしゃるではないですか。っていうかそれ授業で言えよと思いましたが、そんなツッコミをしている暇はありません。どうしたらそういう作品が作れるのかと食い下がると先生は「じゃあ俺の仕事手伝う?」とまさかの提案をしてくれました。もちろん無給です。
二つ返事でお願いをすると卒業後は先生の自宅で受け取った資料をもとに原稿を作るという作業をしました。当時マックを持っていた自分は自宅でも仕事ができました。最初のものは確かタワレコとかで配布されているフリーペーパー内のインタビュー記事です。今の方は知らないかもしれませんが、松本ハウスというお笑いコンビのインタビュー記事でした。
写真と文字を流し込み、組版するだけという冷静に考えるとパワポやワードレベルの仕事でしたが、発行されたものを受け取った時は嬉しかった。自分も業界で仕事をしているような気になれました。
それを持って再度何社か応募するもたった1回の作品で採用してくれる企業などありませんでした。また夢が離れていきました。
最後はどうなったかというとその先生に誘われた飲みで先生の元教え子の方とお会いしたことがグラフィックデザインの世界へ入るきっかけとなりました。その場で「うち採用しているから社長に言おうか?」と言われたのですね。ほんとうに偶然です。もしかしたら先生が仕込んでくれていたのかもしれませんが。その人に会わなかったら今僕はどんな人生を歩んでいるのでしょうか?想像もつきません。
と、はじめて作った作品の素材が先日の大掃除の時に見つかったので書いてみたのですが、みなさんはここまで読んでどう感じましたでしょうか?
資格取得にさんざん散財した挙句、それは就職に全くつながらず、最後は偶然のリファラル採用。情報収集も甘く、その場その場で脊髄反射的に動く。当時の僕に出会ったら「おいお前冷静になれ!」と叱りたい。
でも一つだけ言えるのはあの時諦めてはいなかったなと。当時の僕はこうなったら正社員でなくてもいいというくらいグラフィック業界に対して情熱を持っていました。それを考えると全ての行動が結果につながったとも言えます。
全くの未経験の転職をするのは年齢や適性も含めて限界はあると思います。また人材紹介会社に相談にきても基本僕らは企業様の成長戦略に基づいた即戦力人材を探すのが主業務ですので期待に応えられないケースの方が多いと思います。実際当時の僕が今の僕に相談にきたとしても1社も紹介することはできないと思います。
それでも本当にやりたいことであるなら今も昔も変わらず道はあるのではないかと考えます。
デザインから離れてもう16年です。そして今も一切触れていないですが、当時は本当に仕事が楽しかった。今も続けていたらどうだったのかなとたまに思ったりします。
そして、こんな下手くそな転職をした僕が人材紹介会社をやっていたりします。キャリアというものは何が起こるかわからないものです。多分これからも。
カノープス株式会社 青山