暑かった2005年の夏〜僕の転職のはなし(後編)〜

あれやこれやで僕は老舗求人メディア会社に入社しました。時期的に新卒と同じが良かろうということで入社日は2005年の4月に。

 

「これから全部変わるんだ」

 

初日は心臓がバクバクしていたと思います。

 

「知ってる知ってる!良い会社だね」「よかったね」「これからだな」

 

前職で7年ちょっと一緒に仕事をしてきた仲間達に見送られ、緊張しつつもやる気満々でした。配属になったネット求人メディアのチームは新設の部門。僕が入社するちょっと前にできたようで、当時はまだ事業部にもなっていませんでした。

 

当日は朝礼から参加して、自己紹介をしたような気がしますが、緊張のあまり、何を言ったか全く記憶にありません。直属上司が「…とこのように青山くんは声が小さいですが、これから鍛えていくので…」的なことを言っていたようなのは憶えています。
※声が小さいのは生来のもので今でもそうですが、後々これが僕を苦しめます。

 

中途の同期は営業経験者で地方からきた1名、スーパーに勤めていた1名の方だったと思います。それから、少し遅れて新卒も数名配属になると聞きました。中途採用で同期がいるというのは稀ですし、心強かったのを覚えています。

 

いきなり躓きました

当初は営業トークのロープレを死ぬほどやらされ…いや、やらせていただきました。A4で何枚だったか、会社の歴史からはじまり基幹商品の説明、そして僕の扱う新商品の説明。これができないと外には出してもらえません。それまで広告を作るのは得意でしたが、人前で何かを話すことが超絶苦手だった僕は誰よりも覚えが悪く、接客や営業をしていた同期に大きく水を開けられました。

上司にも厳しく指導され、練習するたびに「お前!声小さくて聞こえない」と延々にロープレループ。確かロープレの最初に基幹メディアの発行部数を世界遺産マウント富士の高さと比べるくだりがあったのですが、そこぐらいまで話すといつも声の小ささで打ち切りされました。「富士山の高さ…」「聞こえねぇ!」「富士山の高さと…」「聞こえねぇ!」「富士…」「あぁ??」…あの時越えられなかったのは自分なのか、上司なのか、ロープレなのか、富士山なのかよくわかりませんでした。おかげで富士山の高さ3776mは忘れません。未だ登ったことはありませんが、いつか僕を苦しめた富士山を登頂したいと思います。

話が脱線しましたが、こんな僕を同期は応援してくれました。が、先に営業研修に出てしまったため、一人営業所で壁に向かってロープレトークをしろと指示されていた時はほんとに帰りたかったです。あまりに下手で自宅でもビデオカメラでロープレをしている自分の姿を撮影して見返したりしていました。確かに声が小さく、自信なさげな自分はなかなか気持ち悪い画でした。

 

また躓きます

でも、まぁいつまでもそんな状態が続くわけもなく大きなおまけつきの合格をもらうと、そこからは飛び込み研修です。1日100件?200件?忘れてしまいましたが、そんな感じでした。最初は池袋。社内でこれまた小芝居のようなデモをしてから出陣です。意気揚々と出かけたものの既存のお客様に飛び込んでお叱りを受けたり、担当営業さんに怒られたり、散々だった気がします。一番辛かったのは建設系の既存顧客に飛びこんだのが、同じ会社の担当営業さんが打ち合わせ終わった直後で、「お前んとこは顧客管理どうなってんだ!!」と、どエライ怒られた時。名刺差し出した姿勢のまま、30分くらい説教されました。あれはきつかった。「地獄や…」と同期に携帯で愚痴ったら「ダメだよ頑張ろうよ!」とたしなめられる始末。本当にダメな僕。出だしがそんな感じでしたので飛び込みが怖くなり、訪問しても逃げ帰るように資料を置いていったりしていました。当然名刺も交換できず、営業所でお叱りを受けて、その度にこれではいかんとまじめにやったりと浮き沈みの激しい営業研修をこなしていました。でも、そのうち人様のオフィスにノンアポで突っ込んでいくのも慣れてきたりします。不思議ですね。

 

セタガヤトメグロ

そんなこんなで暑い夏が近づいてきました。当時はクールビズあっただろうか?とにかく毎日暑くて、熱中症寸前な感じと何とかしなきゃとか色々なものが体中を駆け巡っていた気がします。どんな顔して出勤してたんでしょう。多分気持ち悪い顔して電車に乗っていたのでしょう。

また、その頃には新卒も配属が決まっており、同期も増えました。新卒社員はキラキラしていて眩しかったのを覚えています。僕のように心に汚れのない新卒社員のみんなは、僕がうやむやにやっていた飛び込みも競い合うようにプレイしている。そうプレイという感じ。「やるぞー!おー!」とか爽やかなのです。上司もやはりこれからの会社の未来を背負っていく若人に力が入ります。
※当時の新卒の方、恨みがあるわけではないです。でもちょっと羨ましかったです。

 

「いいなぁ」と思いつつも、ちょっと叱られる回数が減って、油断していました。が、次は担当地域決定です。どこかな?どこかな?とロクに成果も出してないのに色めき立つ僕。発表になると新卒のみんなは千代田区、中央区…「おし!次々!僕はどこかな?新宿とかいいな」と言われたのは

 

「青山くんは世田谷区と目黒区!」

 

セタガヤトメグロ!?

出不精の僕はたぶんほとんど足を踏み入れたことのない未開エリアでした。もう外国レベルです。既存顧客リストを渡されるも、ない。あれ?ない?ないぞ? そう、白地の開拓が必要なエリアでした。よくわからないまま、営業にでましたが、僕がもっているのは、得意じゃないロープレと得意じゃない飛び込みというドラクエの初期未満の武器だけ。池袋という大きな街の飛込み研修でさえ、ろくにお客様と話す時間もとれなかった僕が法人件数が少ないこのエリアでチャンスを作れるわけはありません。

 

1日目飛込み、2日目飛込み、3日目…何も成果は出ません。公園で途方に暮れていました。しばらくは新卒にかかりっきりの上司もさすがに気づきます。メタくそ怒られました。「日報書け!」と日報書くもなにも飛び込んだところ書くくらいしかしらなかった僕は営業に出してもらえません。どうしていいかわからず、悩んでいるとちょっと先に入った先輩達が手をさしのべてくれて、隙間時間に色々とアドバイスをしてくれるようになりました。今でこそネットで同業者の求人は死ぬほど探せますが(何故か最初はPCも支給されていなかった気がします)、当時はまだフリーペーパー型の求人誌の隆盛期。同業の探し方さえ知らない僕の担当地域のフリーペーパーまで持ってきてくれました。
※あの時に助けてくれたTさん、Kさん、Mさん本当にありがとう。

 

「これで、青山さんの地域の同業全部ピックアップして、動きやすく地図見ながら日報に落とすといいよ。」

 

飛び込むといっても世田谷区と目黒区でっかいんです。それで交通の便もよいわけではない。しかも徒歩だと場所もよくわからない。いまはスマホGoogleマップがありますが(便利になったものです)、当時は昭文社とかから出てたハンディ地図をもって歩いていました。効率を良くするしかないのです。先輩達のアドバイスは超ありがたかった。

 

でも、取れませんでした。同期は営業とは何ぞやを理解していたのでしょう。数字をとってきます。しかも結構よさげなのを。朝礼で毎日怒られ、みんなが気まずい感じになっていく(当時、あまりに気持ちが折れてて、周りの目を気にしてばかりいました)のが怖くてようやく火がつきました。

 

初成約はすっぱい嘔吐の香り

神様、仏様!と思ってアポがとれたのが目黒区にある某コーヒーショップのFC店舗。駅チカ店舗でしたが、バイトが集まらず困ってるんだと店長もコーヒーを出しながら悩みを打ち明けてくれます。「これは何とかするぞ!求人ではじめて人の役にたてるかもしれない」と思い、鼻息あらく取材をし、掲載をしました。確か6万円でキャンペーン4週間の小さなプランだったと思います。掲載されるとすごくうれしくて小躍りしました。朝礼でも褒められ、ほっとしたのも束の間、全く応募がありません。

 

求人メディアは獲得した時が喜びのピーク、成果がでないとお客様の怒りしか残りません。応募がないどころか、アクセス数もありません。店長さん宛て訪問するも、みるみるうちに顔色が悪くなっていきます。焦って、原稿を作り直しFAX。またFAX、FAX…。最後は「お前!うちのFAX壊す気か!」と怒鳴られました。
※この頃、飲食店のお客様は紙で校正することが多かったです。

 

掲載最終週になって、1件応募があったのと、あまりの怒りように支払いをしてもらえないんじゃないかという恐れもあり、最後の応募に期待しつつお詫びをかねて挨拶にいきました。

 

最後の応募は店長さんが自分で試したものでした。あえなく砕け散る僕の期待。店長さんは穏やかに話し出します。

 

「うちのような飲食店にとっての6万てわかるかい?わからないだろうけど、覚えとくといいよ。君が最初に飲んだコーヒー300杯分。広告って水物っていうけどさ。まさにだよね…はは」

 

と胸に突き刺さるお言葉をいただきました。穏やかに言われたので、罪悪感は倍増です。獲得した時に僕を採用してくれた部長が「最初の原稿は額にいれてとっとけよ!よかったな!」と肩を叩いてくれた瞬間が走馬灯のように駆け巡り、何だかよくわからないお詫びだか、頑張るとか、新人ですいません的なお経を唱えて、逃げるようにお店を出た後、駅のトイレで吐きました。

 

あれから10年。僕はちょっとは成長しているのでしょうか?少なくとも経営者になって、営業を受ける側にもなった今、あの時の店長の気持ちが痛いほどわかります。

転職した当時の僕はほんとクズでダメで情けない毎日を過ごしていました。その後、僕はメディアから人材紹介部門へのマイナーチェンジをして、9年近くこの会社で働きました。最後に同期はほとんどいませんでした。僕の後に入った後輩も相当数が退職していきました。入社当日の生存率が限りなく0%に近かった僕が続けられたのは良い仲間や、厳しいながらもどこかで助けてくれた上司と僕を必要としてくれるお客様がいたからです。あと、何より好きな仕事を捨てて新しい世界に舵をきった自分を裏切りたくなかったのもあります。今や人材業は僕のライフワークになっています。あの時辛かった全てにありがたいなと思うようになりました。

 

転職って簡単じゃないです。僕なんかよりもっとうまくやる人もいますが、楽な環境なんてほとんどないと思います。業界も職種もカルチャーも丸っと変えるんなら、それなりに意思をもって臨まないといけないと思います。貴方の不満は貴方が解決するしかないし、乗り越えるのは自分自身です。

 

人材業をスタートした2005年の夏は僕にとって、嬉しくてすっぱくて悔しくて悲しいそんな夏でした。

みなさんの転職はどうでしょう? 未だに自分を乗り越えていないしょうもない僕からの暑中見舞いでございます。

 

カノープス株式会社 青山

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この記事を書いた人

青山 俊彦のアバター 青山 俊彦 カノープス株式会社 代表取締役

SaaSビズサイド(セールスやカスタマーサクセス、インサイドセールス、マーケ、企画領域)の転職支援が得意な人材エージェントです。採用や転職についてお気軽にご相談を!趣味は釣り。長野県安曇野市出身。

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