いそぐべからず

朝は副業のアルバイトか、ジョギングのどちらかをするのですが、最近は冷え込みが厳しくて挫けそうになります。ジョギングは別に義務でも無いので休めばいいのですが、行かないと行かないで気持ち悪い。習慣って面白いですね。実は習慣?なのかわからないのですが、もうひとつやっていたことがあります。

 

それは近所の神社への参拝です。ジョギングの帰り、アルバイトの帰りに通りかかる神社でずっとやっていました。二礼二拍一礼。間に祈っていたのは実にシンプル

 

コロナが収束し世界が平和になりますように。

 

です。我ながらすごい普通ですね。最初は家族親族友達ごとの健康を祈ったりとか、会社の景気が良くなってとかもっといろんなことを祈っていたのですが、こんなに情報量多いと神様も鬱陶しいだろうなと思ったのと、何より祈る時間が長くて大変です。祈りたいことを大きくまとめたら結果的にこれになりました。

 

そもそも信心深さや何かへの信仰心はないのですが、なんとなく朝の神社って清々しくてお参りしたくなるのと、祈って少しでもよくなるならいいかと思って続けています。たまに遅くなるとと地元のご老人達がたくさんいらっしゃって祈り行列になるので行く時間には気をつけなければいけませんが(何故か6時30分-7時くらいがラッシュ)。

 

あとこの神社、東京都神社庁(と言う団体があることを知りませんでした)が毎月発信している生命の言葉というものを掲示しています。要は歴史の人物の名言格言なのですが、それが変わるのを見るのも意外と楽しみだったりします(ちゃんと調べたらここで全部読めますね 東京都神社庁)。ちなみに2020年12月の掲示内容は

 

人の一生は重荷を背負うて遠き道を行くが如し。いそぐべからず。徳川家康

 

でした。徳川家康の遺訓と言われているもののようです。以下が正確な内容のようです。

人の一生は重荷を背負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。
不自由を常とおもへば不足なし。心に望み起こらば困窮したる時を思ひ出すべし。
堪忍は無事長久の基。怒りは敵と思へ。
勝つことを知りて負くることを知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人を責めるな。及ばざるは過ぎたるに勝れり

他の方の訳を拝借しますが、

 

人の一生というものは、重い荷を背負って遠い道を行くようなものだ。急いではいけない。
不自由が当たり前と考えれば、不満は生じない。
心に欲が起きたときには、苦しかった時を思い出すことだ。
がまんすることが無事に長く安らかでいられる基礎で、「怒り」は敵と思いなさい。
勝つことばかり知って、負けを知らないことは危険である。
自分の行動について反省し、人の責任を攻めてはいけない。
足りないほうが、やり過ぎてしまっているよりは優れている。

 

という意味のようです。今の世界の状況にこれを無理やり当てはめるのは正しいのかわかりませんが、そうだよなぁと共感しました。

 

今の世界の状況に不安や不満を持っている方、とても多いと思います。僕もその一人です。ただ、急いでも焦っても慌てても誰かを責めても事態が好転することはありませんし、徳川家康の言葉は真理だと思います。

 

不安な気持ちを持つのは当たり前のことと認識し、できることを洗い出して今のベストと言えるところまで頑張ってみる。それを繰り返す。それだけでも結構進むものです。たぶん来年もそんな1年をまた過ごすのかなぁと考えています。

 

これで今年のブログは終わりです。今年も本当に多くの方に助けていただきながら無事過ごすことができました。会いたいねだけで終わっていたり、飲もうと言っていけていない空約束、山ほどありますが、来年はそれが全部実現できる楽しい1年になるといいな。皆さん良い年越しを!

 

カノープス株式会社 青山

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