挫折と挑戦:挑み続けた先に掴んだ、確かな未来を歩んでいく力――HENNGE藤本京介さんインタビュー

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キャリアアップや自己実現を目的とした転職は、いまや珍しいことではありませんが、入社後に直面する葛藤や挫折について語られる機会は、そう多くありません。

HENNGE株式会社で中部エリアの営業責任者を務める藤本京介さんも、面接、転勤、昇格試験といったさまざまな場面で何度も壁にぶつかり、挫折を経験してきました。それでも愚直に自己と向き合い、努力と改善を重ねることで、いまではチームを率いる立場へと成長しています。

本記事では、そんな藤本さんの歩みを通じて、転職後に待ち受けるリアルや、困難や挫折をどう乗り越えるか、そしてキャリアをどう築いていくかについて、ヒントを探っていきます。

サッカーとガジェットに夢中だった少年が、SaaSに魅せられるまで

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はい。藤本京介と申します。広島県出身の33歳。現在はHENNGEの中部エリアを統括するセクションマネージャーを担当しています。

小学校から大学までは、サッカーにどっぷりはまり、キャプテンなども務めさせていただきました。また一方で、小さな頃からITや新しい電子機器に触れるのが大好きで、パソコン、携帯にスマホ、新しいガジェットにいつも胸を熱くするような少年時代を過ごしていた気がします。また、サッカー部にもオタク気質というか、テクノロジー好きな仲間が多くて、自然とITリテラシーは高くなっていたような気がしますね。

そういった背景もあって、就職活動は、IT業界に絞って活動していました。大学の企業説明会でダイワボウ情報システムに出会ったのがキャリアのスタートですね。同社はITの総合商社で、最新のテクノロジーを多くの企業に提案できる点や、社員の方々がいきいきと働いている雰囲気に惹かれて入社しました。

大阪配属後、すぐに東京支社に異動となり、約6年間勤務しました。主な業務は、パートナー企業向けにIT商材を卸す営業で、大手メーカー系の企業様を担当していましたね。

商社という特性もあり、さまざまなIT商材を取り扱っていましたが、私自身が特に魅力を感じたのはクラウドサービスやSaaSでした。特に印象的だったのが、入社1年目のときに登場した「Office 365(現在のMicrosoft 365)」です。実際に自分たちでも使い始め、「これがあれば、どこでも働けるじゃないか!」とクラウド型のソフトウェアの概念に強い衝撃を受けました。

その感動から、「このサービスをもっと多くのお客様に届けたい」という思いが強まった頃、ダイワボウが「iKAZUCHI(雷)」というSaaSやサブスクリプションサービス向けの発注管理システムを立ち上げたんですよね。この製品については自ら手を挙げて製品担当になって販売に関わりました。Office 365とセットで提案するスキームをパートナーさんと一緒に作り上げ、全社的な販売手法として展開もできました。当時、入社6年目でしたが、Office 365に関しては、ダイワボウ全社の売上ランキングでも社内トップ3に入る成績を残すこともできたんですよ。

はじめての挫折。20社落ちて気づいた“自分を語れない自分”

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Office 365に関わる中で、「これからはSaaSやサブスクリプション型のクラウドサービスで、世の中を変えていきたい」という想いが強くなっていきました。

ただ、SaaSはストック型の収益モデルです。長期的には売上の見通しが立てやすいものの、代理店や商社という立場から見ると、どうしても得られる利益が小さいという現実がありました。一方でパソコンやサーバーなどのハードウェアを売った方が売り上げと利益の額面が大きく、社内での評価も得やすい。そんな商社のビジネス構造を頭では理解しつつも、「もっとSaaSに関わりたい」という高まっていく自分の気持ちとの間に、徐々にジレンマを感じるようになっていきました。

「自分のやりたいことは、本当に今できているのだろうか?」そう自問する日々が続く中で、コロナ禍になり、また結婚など、自分のライフステージに大きな変化が訪れました。ちょうど環境が変わるタイミングだったこともあり、改めて自分のキャリアを見直す決意をし、転職活動を始めることにしたんです。

とはいえ、最初の転職活動はうまくいきませんでした。名前を知っている企業に片っ端から応募し、次々と面接の機会はもらえたものの、準備不足だったせいで20社すべてに不合格。さすがに落ち込みましたね。

いくつか理由がありました。まず、自分の過去の実績をうまく言語化・数値化できていなかったこと。そして、転職の軸や、「夢」や「目標」、その背景にある原体験すら、明確に言葉にできていなかったんです。現状と理想のギャップも整理できていなかった。つまり、自己理解がまったく足りていなかった。それが、最初の転職活動がうまくいかなかった一番の原因だったと思います。

20社に落ちたあと、ようやく本気で向き合う決意ができました。「自分は何がしたいのか?」「どんな姿を目指して、どんなアクションを起こしてきたのか?あるいは、これから何をしていきたいのか?」——そんな問いにひたすら向き合いました。

ITが好きだった小学生の頃からの原体験、サッカーに打ち込んでいた時の思い、就職活動の時に考えていたこと、これまでのキャリアや成果。そのすべてをノートに書き出していったんです。気づけば、何千、何万文字にもなっていました。

その作業を通して、ようやく自分のこれまで歩んできた道と、これから進みたい方向が一本のストーリーとしてつながり、自分自身でも納得できるようになっていきました。以前は面接で答えられなかった質問にも、自分の言葉で答えられるようになっていったんです。

転職活動を再開してから、HENNGEに内定をいただくまでには3〜4ヶ月ほどかかったんですが、その間は朝から晩まで転職のことばかり考えていました。仕事中も「自分はなぜこの仕事をしているんだろう」と悩み、夜は深夜まで自分の棚卸しを続ける毎日でした。

「他を全部断ってでも、ここに!」HENNGEとの出会い

最初は、執行役員の三宅さんと人事の方とのカジュアル面談でした。とてもフラットで親しみやすい方々で、今振り返ると、HENNGEのカルチャー(※)そのものを感じられるような時間でした。これまで受けてきたどの企業の面接とも違っていたと思います。

特に印象的だったのは、「人の本質を見ようとしてくれる質問」が多かったことです。数字や実績だけを問うのではなく、「なぜそれができたのか」「どんな背景や想いがあったのか」「その考えに至った理由は何か」と、深く掘り下げてくれました。実績の裏にあるストーリーや、自分自身の価値観まで見ようとしてくれているのを感じ、「本気で自分を理解しようとしてくれている」と強く思ったんです。

象徴的だったのが、一次面接後にいただいたフィードバックです。通過の通知に「このままでは次は落とします」と書かれていて(笑)。「話が長い」「ロジカルさが足りない」「会話のキャッチボールを意識してください」「結論から話す基本を徹底してください」と、厳しい言葉が並んでいました。

最初は戸惑いましたが、それでも「修正できれば先に進める。待ってます」というメッセージに、熱意と期待を感じて感激しました。「ここまで本気で向き合ってくれるんだ」と。

それに応えたいと思い、HENNGEのサービス資料をすべてダウンロードして読み込みました。経営陣の背景を知るためにネット記事を読み漁り、Facebookで趣味まで調べるほど。「あ、野球が好きなんだな」とか(笑)。

調べれば調べるほど、HENNGEのことが好きになっていって。他社から内定も出ていたのですが、「HENNGEに入れないなら中途半端な転職はしたくない」と思うようになりました。今の環境よりも確実に成長できて、自分が納得できるキャリアが描けるのはここしかないと確信したんです。

最終的な決め手は、プロダクトや事業戦略もさることながら、「人」や「カルチャー」の魅力でした。他の内定や選考はすべて辞退し、HENNGE一本に絞って選考に臨むことを決めました。

※ HENNGE株式会社には「HENNGE WAY」という9つの行動規範があり、多様な文化・人材が集まる組織で働くための共通言語の役割を果たしています。

入社時に決めていたのは、「3年でマネージャーになる」という目標です。自分を鼓舞する意味でも、当時の自分と比べて高めの目標をあえて設定していました。

これをやるために取り組んだことがいくつかあります。まず何よりも「早期に結果を出す」こと。予算の達成や決めた目標を必ずやり切る。これを基本として、社内外問わずコミュニケーションを積極的に取り、人脈を広げ、信頼を得ることにも力を入れました。会議、飲み会、イベント、ディスカッションなど、人が集まる場には必ず顔を出し、自分ができることは全力で取り組みました。信頼を得ることで、自分が困ったときにも助けてもらえるようになるのはこれまでの経験でも確信していましたので、そうした関係構築を意識しました。ちなみに当時、社内でのあだ名は「コミュ力お化け」でしたね(笑)。

それからもう一つ、英語の勉強ですね。HENNGEでは社内公用語が英語と決まっていて、昇格にも影響します。私自身は英語経験ゼロ、TOEICも受けたことがありませんでしたが、最終面接で小椋社長に「入社1年でTOEIC650点を取ります」とコミットしていたので、やり切ると決めていました(笑)。

英語については、入社直後から、毎日2時間半、休まず勉強しました。入社当初のTOEICスコアは430点でしたが、それが3ヶ月で670点にまで上がり、社内で表彰されました。現在はスコア800点ほどまで伸びていて、海外メンバーとも普通に会話ができるんですよ。英語学習はいまでも毎朝6時半に起きて継続しています。

そして名古屋へ。“信頼ゼロ”から始めた新たな挑戦

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はい。TOEICが当初目標の650点に到達した段階で、最初の昇格試験に挑戦しました。HENNGEでの入社時の等級は中途入社では一番スタンダードなランクだったのですが、次の「ブラウンベルト」への昇格を目指しました。この昇格試験は自薦でも他薦でも受けられるのですが、この時は自薦です。これまで取り組んできたことをきちんと伝えることで、周囲からも評価をいただき、スムーズに昇格できました。ここまでで約1年です。

昇格後は、東京にあった2つのパートナーセールスチームのうちの1チーム、つまり部門の売上の半分を管理する組織のリーダーという立場を任されました。ここではしっかりと予算も達成し、会社に貢献できていたと思います。

そんな中、東京での実績を評価していただき、「マネージャー昇格を目指して、名古屋で頑張ってみないか?」と会社からお声がけをいただきました。それが2023年10月のことです。子供も生まれたばかりのタイミングで非常に悩みましたが、最後は妻が、「一緒についていくよ」と応援してくれたので、思い切って引き受けることにしました。

ただ、名古屋での新生活は、かなり苦しいスタートになりました。商習慣の違い、文化の違い、社内組織の規模、人間関係——すべてが東京とは違っていたんです。特に名古屋の文化には苦戦しました。トヨタを軸にした独自の経済圏、外様を簡単には信用してくれない空気。お客様やパートナーさんからも、最初はなかなか受け入れてもらえない感覚がありましたし、赴任したばかりの時は、社内のメンバーとの間にも少し距離があるように感じていました。

もうこの状況は、自分から積極的に動いて解決しにいきました。この土地を好きになる、理解する、愛する——その努力を愚直に続けました。まず、名古屋の歴史の学習。トヨタ経済圏の成り立ちや、地元の商習慣、地域文化などを調べ、さらにパートナーさんの中でHENNGEを好きでいてくれる方々との交流を深めました。ローカルグルメもたくさん食べましたし、「なぜこの土地にこの食文化があるのか」といったことも調べました。

観光地にも足を運び、自分の体験として消化し、それを日々の会話のネタにしていきました。そうしているうちに、「こんなに名古屋のことを好きって言ってくれる人はいないよ」と言ってもらえるようになり、少しずつ受け入れてもらえるようになりました。

この「まずは徹底的に学ぶ」「自分から動く」という姿勢は、HENNGEの面接準備でも発揮した自分の強みであり、どんな環境でも変わらず大切にしていることです。

入社後最大の試練 “絶対に昇格する”覚悟を決めた1年

名古屋に来てしばらく経った頃、「そろそろ次の職級への昇段試験を受けないか?」と声をかけていただいたんです。個人的には「まだちょっと早いかな」という思いもありましたが、前年の評価も良かったですし、「じゃあ、受けてみます」という、やや受け身な気持ちで受験することにしました。結果は不合格。指摘されたのは、「会社に対する思いが弱い」「プレイヤー目線で止まっている」といった点で、総じて“視座が低い”という評価でした。久しぶりにボコボコにされた感じです。そのときは、本当に落ち込みましたね。「自分は何のために名古屋に来たんだろう?」とまで考えました。

でも、そんなときに周囲の方々が声をかけてくれたんです。わざわざ役員の方が名古屋まで来てくださり、慰めるだけでなく、ちゃんとアドバイスや改善の方向性を示してくれました。そこまで言ってもらえるのなら、もう無理かなとまで思っていたんですが、ここが踏ん張りどころだなと決意して、自分に高い目標を設定しました。例えば、「パートナーセールス」が中心だったそれまでの業務に加え、自らハイタッチ営業の目標4000万円も課し、そこから1年間、本気で取り組みました。

昇格の再挑戦時には、「よくここまで来てくれた。リスペクトしてる」と、役員から最大級の褒め言葉をいただきました。1年前の悔しさを乗り越えて昇格できたときは、本当に胸が熱くなりましたね。

おかげで現在はCentral Japan Sales Sectionという、中部エリアを担当する営業部隊のマネージャーを務めさせていただいています。セールスメンバーはインターンを含めて10名、SEを含めると15名をマネジメントしています。

入社当時に比べて「謙虚」になったと思います。入社当時は自分を大きく見せようとして声ばかり大きい感じでしたが、今は、「自分にはまだまだ学ぶべきことがある」と素直に受け止められるようになれています。そうした姿勢の変化が、入社当初との一番の違いだと思います。

そしてさらに大きな夢も描けるようになっていると思います。今後の目標は、HENNGE Oneを「世界中にもっともっと広めていく」こと。世界に向けて売れる仕組みを自らが先導して作れるようになりたい。そのために、まずは名古屋だけにとどまらず、改めて東京という大きな市場で再現性ある成果を出し、「戦闘力」と「統率力」を磨くことを目指しています。

将来的には営業本部長や営業部長として日本全国でHENNGE Oneを拡販できる体制をつくり、その先に「世界展開」があると考えています。今はそのための土台作りの真っ最中です。

“人生のハイライト”を積み上げていきたい――マネージャーとして今、大切にしていること

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働くうえで大事にしていることは本当にたくさんありますが、マネージャーになったいま、特に意識しているのは「一体感のあるマネジメント」です。チームがどこに向かっているのかを共有しながら、それぞれの意志や想いをくみ取って、背中を押す。そんな存在でありたいと思っています。前向きな声かけを欠かさず、メンバー一人ひとりが会社が目指す方向と同調しながら、主体的に、楽しく仕事に向き合える空気づくりを大切にしています。

また、何よりそんなチームで生まれた成果が、メンバー一人ひとりにとって「人生のハイライト」になったら嬉しいなと思っています。うまく言えないですが、そういう瞬間って忘れないじゃないですか。数年後、同じチームの仲間と「あのとき大変だったけど、楽しかったよね」と笑い合える——そんな記憶が残る仕事ができたら、最高だなと思っていますし、仕事に捧げる情熱の源泉になっていると思います。

「迷ったら、やってみる」。その一歩が大事だと思います。
転職活動でも、現職でも、いろんな挑戦をしてきましたが、終わってみれば全部「やってよかった」と思えることばかりです。

仕事も転職もプライベートもうまくいくかどうかはやってみないとわかりません。やってみて失敗することもあれば、挫折することもある。でも、そこから感じられる気づきや思いがたくさんあると思います。
だから、少しでも「これ、やってみたい」と思ったら、目の前にそんなチャンスがあったら、迷わず一歩を踏み出してみてください。
その先に、自分にとっての“人生のハイライト”がきっと待っていると思います。

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◼︎プロフィール
藤本 京介(ふじもと・きょうすけ)
2015年、ダイワボウ情報システムに新卒入社。パートナーセールスとして大手販社向けの営業を担当し、クラウドサービス領域で経験を積む。2021年、HENNGEに入社後は東京本社でのハイタッチセールスを経てパートナーセールスに転向。2023年に名古屋拠点立ち上げメンバーとして異動し、現在は中部エリアを統括するセクションマネージャーとして、組織マネジメントと営業戦略を担う。
青山 俊彦

SaaSビズサイド(セールスやカスタマーサクセス、インサイドセールス、マーケ、企画領域)の転職支援が得意な人材エージェントです。採用や転職についてお気軽にご相談を!趣味は釣り。長野県安曇野市出身。

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