
小売業界が直面する在庫の課題。全国に数百店舗を展開し、数万点の商品を扱う企業にとって、最適な在庫配置や価格設定は長年の課題でした。この”諦められた課題”に革新的なソリューションで挑むのが、フルカイテン株式会社。
AIと統計学の知見を活かし、独自開発した技術で、小売業の利益改善を実現する同社。創業からわずか7年で、1兆9,000億円規模の売上データを預かるまでに成長しています。現在は約50名の組織となり、次なる成長フェーズに向けた変革期に突入。今回は創業者である瀬川氏に、起業までの道のり、組織づくりへの想い、そして今後の成長戦略における採用の位置づけについても語っていただきました。
小売業向けAIソリューションで業界の課題解決に挑む
―― まずは、フルカイテンがどのような会社なのか教えていただけますでしょうか?
フルカイテンのお客さまは一般の小売業です。例えばアパレル、雑貨、眼鏡や靴など、幅広い業態の小売企業に対して、商品を何円で売ると利益が最大化するという予測や、どの店舗に在庫を持っていけば売れるのかという予測、倉庫から店舗に出荷する際の適正数量の予測、どの商品同士が一緒に買われると客単価が上がるかといった予測など、粗利改善に必要な予測技術を持つソフトウェアの開発と提供を行っています。
―― フルカイテンさまが取り組まれているサービスが登場する前、業界はどのような状況だったのでしょうか?
以前は、各企業がExcelを使って同様の分析を一生懸命やってきました。今もその状況は続いているのですが、店舗が全国に何百店舗もあり、取り扱う商品の品番数が何万、何十万となると、もうExcelでは分析できません。これは非常に重たい課題です。
この課題に対して、「FULL KAITEN」のようなSaaSツールを使った解決策を提案できる会社がなかったんです。問題が顕在化しているのに解決策がない。
売上や粗利の増加という経営課題に直結する課題なのに、筋の良い解決策がないという、いわば「諦められた課題」が解決されないままの状態だったとも言えるでしょう。
―― このような課題に取り組もうと思ったきっかけを教えていただけますでしょうか?
私が起業したのが2012年。最初はハモンズ(現フルカイテン)という会社名でベビー服のEC事業を始めました。このベビー服の事業で在庫の問題で、3回も倒産しかけたんです。倒産危機を乗り越えようという時に、どのように在庫を分析すれば倒産危機を迎えずに済むのか、さまざまなロジックの開発をしたんですよ。
それを事業化していったのがSaaSサービス「FULL KAITEN」の始まりです。これが可能だった背景には、大学で統計やAIの研究をしていた3年ほどの経験や、外資系IT企業に入社し、その後日本のベンチャー企業に転職したりと、ソフトウェアやIT技術に10年以上関わってきた会社員時代のキャリアがありました。
AIのバックボーン、ITのバックボーン、そして小売業の経験、この3つがうまく重なって「FULL KAITEN」の原型が生まれたんです。
「誰かの笑顔のために」独立を決断
静かに語り始める瀬川代表
PROFILE
代表取締役社長 瀬川 直寛
1976年、奈良県生まれ。慶應義塾大学理工学部機械工学科卒業。新卒でコンパックコンピュータ(現ヒューレットパッカード)に入社し、2年目には6億4,000万円の売上を記録。その後、複数のスタートアップ企業で営業として活躍し、年商15億円の事業創出や、全社売上の9割を一人で達成するなど、卓越した実績を残す。2012年にEC事業のハモンズ(現フルカイテン)を起業。3度の倒産危機を乗り越える過程で在庫分析システム『FULL KAITEN』を開発。現在は約50名の組織となったフルカイテンは「世界の大量廃棄問題を解決する」というミッションのもと、小売業界の革新に取り組んでいる。
―― 会社員時代、独立を決意された背景には何があったのでしょうか?
20代中盤くらいから、IT業界での仕事に違和感を持ち始めていました。企業向けのシステム開発の仕事は、提供する側も、受け入れるお客さま側も大変な顔をして仕事をしている。語弊を恐れずに言うと、楽しそうではないんです。お金は入ってくるけれど、大事な時間を使って仕事をしているのに、自分も楽しくないし、お客さまも同じように楽しくない。「これが一体、何の価値を生んでいるんだろう」という葛藤を感じていました。
「転職したら変わるのでは」と、何度か転職も繰り返しましたが、営業としてトップの成績を出せても、その思いは変わりませんでした。ある会社では売上の9割を担当するほどの結果も出したりしましたが、やはり満足できない。33〜34歳くらいの時に、「このまま続けても誰も幸せにできないのではないか?」と強く感じるようになりました。
そんな時、チームメンバーの誕生日にサプライズしようと思って、バルーンギフトを贈りました。箱をあけたら、一斉に大きな風船が宙にあがる。それを見たフロアの社員、百数十名が一瞬で笑顔になったんですよ。わあっと歓声があがって、大爆笑の渦が巻き起こる。
その瞬間、自分の仕事に敗北感を感じました。バルーンは、たかだか1万円くらい。だけど、1万円の仕事が、その場にいた大勢の人たちを瞬間的に喜ばせ、笑顔にしている。
自分は何千万円、何億円という仕事をしても誰も笑顔にできていない。このままでは、一度きりの人生がもったいない。働くんだったら、誰かが笑顔になるような仕事をしないと、つまらない人生になる。そんな風に感じて「もう、辞めよう」って思いましたね。
―― EC事業を始められた背景についても伺えますでしょうか?
実はきっかけは、子どもが生まれたことだったんです。当時、大阪市内に住んでいて、ベビーカーに子どもを乗せ、おむつやミルクなど重たい荷物を抱えて電車で買い物に行って。ベビーカーと重い荷物を持ちながらお店を回るけど、気に入った商品がなかなか見つからないんです。やっと気に入った商品を見つけても、今度はサイズがない。何も買えずに帰ることも多く、帰ったらへとへとに疲れている。
世の中の子育て家庭の方々が同じような経験をされているんだろうなと思い、可愛いベビー服や子ども服が一箇所で買えるような場所を自分でつくろうと考えたんです。独立した時点では何の事業をやるか決めていませんでした。何でもいいので、「自分の仕事を通じてお客さまに笑顔になってもらいたい」という気持ちだけで会社をつくりました。
―― EC事業をスタートしてからの会社経営はどうでしたか?
小売業の経験がない中でのスタートでしたから、本当に大変でした。最初は自己資金で運営していたので、極力在庫を抱えないよう少しずつ仕入れを行いました。また、新規のECサイトは砂漠にポンと自販機を置いたようなもので、なかなか人が集まりません。
売れ始めると今度は、もっと売上を伸ばすために在庫を増やす必要が出てきます。在庫を増やすと売上は確かに伸びるのですが、全部が売れるわけではない。残った在庫は結局、自分たちの資本金が商品に変わっているだけで、売れない限りお金には戻りません。その状態のまま在庫がどんどん膨れていき、半年ちょっとで600万円ほどあった資金が200万円程度まで減ってしまう。そんな経験を何度もしました。
―― そこから、「FULL KAITEN」の原型がつくり出されます。営業のキャリアから分析プロダクトの開発を実現できた理由を教えていただけますか?
遡ると私は慶應義塾大学理工学部の出身で、高校時代から物理や数学が得意でした。特に物理は全国模試でほとんど1位を取るほどでした。ただ、大学に入学すると周りは天才ばかり。難しい授業を一生懸命復習してもわからないものを、90分の講義で理解している人たちがいる。そんな人たちと競って研究者になることに疑問を感じ、大学院という選択肢は早々に諦めました。
その代わり、数学や物理が得意な人間がビジネスの世界に行けば、それ自体が付加価値になるのではないかと考えたんです。研究は諦めましたが、会社員時代にトップセールスマンとしての結果を導いたのは、商談を徹底的にロジックに落とし込む統計の学びが役立ちましたし、「FULL KAITEN」の原型となった予測モデル構築も学生時代に統計やAIに出会ったからだと思います。
すべての点が、ここにつながっていた

左から瀬川代表、宮本さん
―― フルカイテンが今の形になるまでには、創業メンバーであり、人生のパートナーである宮本さんの存在が大きかったのではないでしょうか?
ベビー服事業での3回の倒産危機を乗り越える過程で、一つひとつテクノロジーのブレイクスルーを起こすことができました。それが今の「FULL KAITEN」の核となる技術です。当初、私はこの技術を使ってベビー服事業を続けようと考えていました。「誰かを笑顔にしたい」という思いでITの世界を離れ、BtoCの世界に飛び込んだわけですから。
しかし妻は違う視点を持っていました。「この仕組みを売る方が良いのでは」と。確かにその通りかもしれませんが、一度離れたITの世界に戻ることには大きな抵抗がありました。
そんな私に妻は二つの気づきをくれました。一つは、このブレイクスルーによって自分たち家族の笑顔を取り戻せたように、世の中の小売業の方々も同じように笑顔にできるのではないかということ。もう一つは、私自身は販売はしていたものの、どのベビー服が可愛いとか、ちょっと分からなかったんですよね(笑)。そしたら「可愛いか可愛くないかも分からない、ベビー服の会社の社長として数字だけ見て組織を管理して何が楽しいのか」ということを言われたことです。商品の価値を判断するのは妻の役割で、私自身はその価値がわからない。それよりも、さまざまな企業の人たちに自分の強みを活かして価値を届ける方が、本来の自分の力を活かせるのではないか、と。
その時、すべてがつながっていることに気づいたんです。数学物理が得意だった高校時代、自信を持って大学に入ったけど、周りの天才たちに打ちのめされた大学時代。でもそこでAIや統計に出会い、ビジネスの世界で戦っていった経験。そして妻との出会いまで。 20代の頃の葛藤も、35歳での起業も、すべてが「FULL KAITEN」という事業に向かうための布石だったのかもしれない。そう思った時、この道を進もうと決意したんです。
―― その決断から実際に事業をピボットするまで、どのくらいかかりましたか?
とても早かったですね。2016年の12月末に事業のピボットについて妻と話し始めて、2017年2月には、もう決断して。そこからの動きは早かった。すぐにVCを回り始めたんです。
自分たちのためにつくった仕組みを外で使えるものに開発し直すには、自己資金では到底無理。当時はVCからの資金調達は知り合い経由が一般的でしたが、そんな縁もなかった。それでも営業時代の経験を活かして、自らドアノックで回りました。最初は「え?」という反応をされましたが(笑)。でも、2月に動き始めてから、わずか3ヶ月後の5月には2,000万円の資金調達を実現できました。
新しい事業への想定外の反響。そして、再び訪れた危機
―― 現在50名弱の組織になっていますが、ここまでの道のりはいかがでしたか?
いばらの道でしたね。よく話す倒産危機はベビー服時代の3回ですが、フルカイテンと社名変更し、事業ピボットしてからも、その倍くらいの危機がありました。
2017年5月の資金調達後、同年11月にファーストバージョンをリリースしました。当初は月商数百万円くらいの小規模企業をターゲットに考えていたんです。ところが、業界新聞の小さな記事を見ただけで誰もが知る大企業からの問い合わせが殺到。驚きましたが、12月には7社と契約が決まりました。
通常、スタートアップは中小企業から始めて徐々にエンタープライズに移行するものですが、我々は真逆でした。そこで気づいたんです。在庫の適正化による粗利の最大化は、企業規模が大きいほど効果も大きい。我々のマーケットは最初からエンタープライズだったんです。
ところが、これが新たな危機の始まりでした。小規模企業向けに設計したシステムでは、大企業のビッグデータを扱いきれない。クリックしてから結果が出るまで15分、20分かかる状態。「使い物にならない」と解約が相次ぎました。
―― その時、どのような決断をされたんですか?
2018年、営業を完全停止しました。人を笑顔にするために独立したのに、不満を抱えさせて怒らせるような仕事はしたくない。そこで、ビッグデータを高速処理できるバージョン2の開発に舵を切ったんです。
この開発が本当に大変でした。オラクル(※1)のような高額なデータベースを使えば早く解決できたかもしれませんが、SaaSとして提供可能な料金設定が難しくなる。自分たちでビッグデータを低コストで高速処理する技術を開発する必要がありました。
営業停止中は売上が月4万円という笑い話のような状況で、10人以上の社員を抱えながら研究開発を続けました。3年間、開発資金を調達し続け、VCや銀行融資、コロナ融資など、あらゆる手段を使いました。
※1 オラクルデータベース:企業の大規模データ処理でデファクトスタンダードとなっている高性能データベース。大企業の基幹システムで広く採用されているが、ライセンス費用が高額なことでも知られる。
―― 経営者として、かなり孤独な時期だったのではないですか?
本当に孤独でしたね。世の中、自分以外全員敵に見えるような状況でした。妻には何でも話せましたが、この苦しさは本人にしか分からないかもしれません。
転機は2020年の秋。次の資金調達に失敗したら会社が潰れるという状況でした。でも高速処理の開発に目処が立ち始めていた。そこで、現状のキャッシュが持つ2021年4月までに必ず形にするという目標を立て、JAFCO(※2)に出資の相談をしました。毎月の目標をすべて達成し、最終的に5億円の出資を得ることができた。エンジニアも技術を完成させてくれて、なんとか倒産は免れました。
※2 JAFCO:ジャフコグループ株式会社は、日本を代表する投資ファンドの一つ
―― スタートアップの苦労話というと、よくシリーズAやBに行けなかった話を聞きますが、その前の段階でこれほどの苦労があったんですね。
そうですね。創業から数年で9割の企業が消えていくと言われますが、その裏には本当にさまざまな戦いがあるんです。私は運が良かったですが、うまくいってもいかなくても、みんなめちゃくちゃ戦っているんだと思います。
一枚のシャツが教えてくれた、自分たちの使命

左から宮本さん、瀬川代表、人事の宮尾さん
―― 現在、組織は50名弱まで成長されましたが、社員の方々を惹きつけているものは何だとお考えですか?
フルカイテンのミッション「世界の大量廃棄問題を解決する」だと思います。
最初は「小売業の社長を笑顔にする」というミッションを掲げていたのですが、あるお客様との会話で視点が大きく変わりました。
―― 現在のミッションである「世界の大量廃棄問題を解決する」に至った背景を教えていただけますか?
東京の大手アパレル企業の役員との商談の時のことです。その方が突然、「瀬川さん、FULL KAITENが広がると地球にいいですよね」と言うんです。
当時の私は目の前の経営のことで精一杯で、正直、「地球」なんて大きな視点は持ち合わせていませんでした。なぜそう思うのか、率直に質問してみました。
すると、その方は私の着ていた白いTシャツを指さして、「このMサイズの半袖シャツ1枚をつくるのに、水を何トン使うと思いますか?」と。「3トンです」。その数字を聞いた時の衝撃は今でも忘れられません。
「他の商品も同じです。森林を伐採し、地球の資源を使って、さまざまな商品がつくられていく。それらは全部売れるわけではなく、売れ残れば廃棄される。その時にもまた資源が使われる」
その言葉で、私の視界が一気に広がりました。「FULL KAITEN」の導入企業が増えれば、より少ない在庫で同じ、あるいはそれ以上の業績を上げられる。つまり、資源の無駄遣いを減らすことができる。
「だから地球にいいんです」
その瞬間、はっと気づかされました。自分は「小売業の社長を笑顔にしよう」という思いでここまできました。でも、それは小さすぎた。
この先、何世代もの人たちが暮らしていく地球のために、私たちは何ができるのか。その視点で見たとき、「FULL KAITEN」という事業が持つ本当の可能性が見えてきたんです。 それ以来、会社のミッションを「世界の大量廃棄問題を解決する」に変更しました。この先の世代により良い地球を残すという使命を持った会社になったことで、社員の共感も得られるようになり、採用活動も変わっていきました。
―― 最近、若手の抜擢人事を進められているそうですが、現状の組織についてもお聞かせください。
2024年の後半から今に至るまで、フルカイテン始まって以来、最高の組織コンディションにあります。これは経営者として達成できた最大の仕事の一つだと感じています。
2024年の春先まで、組織には閉塞感がありました。特にエンジニア組織は縦割り感が強く、横の情報連携が不十分で、組織間に軋轢が生まれていました。その背景には私自身の課題があったんです。それは「信頼して任せるというスキル」。これが極めて低かったんです。 ある優秀な社員が「もっと任せて欲しかった」という理由で退職したことをきっかけに、マネジメントスタイルを大きく変えました。「ちょっと早い」と思えるくらいのタイミングで権限を移譲し、若手を役職者として抜擢する方針に転換したんです。すると、社員たちが生き生きと働き始め、組織全体が活性化していきました。
次なるステージへむかって。脱THE MODELとIPOへの道

伊那オフィスに集まったメンバー
―― 今後の成長戦略について教えてください。
私たちが目指すのは「脱THE MODEL」です。エンタープライズ向けのSaaSビジネスは、従来のTHE MODELモデルの戦略ではもう成り立たないと考えています。
具体的には、まずセールスモデルを完全に見直します。エンタープライズ企業のIT投資予算を考慮した料金プラン、一社との深い関係性を築きながら複数のプロダクトを提供していく戦略です。組織もプロジェクト型に進化させ、営業、開発、管理部門といった縦割りの組織を保ちながら、横串でお客さまごとのプロジェクトチームを編成しています。
また現在、1兆9,000億円分の売上データを預かっていますが、このデータを活用した研究成果を今年発表する予定です。世界でも類を見ない、新しいビジネスモデルが生まれると確信しています。
―― IPOについてはどのようにお考えですか?
2028年12月期のIPOを目標に動いています。今年はMRRが去年の倍以上になる見込みで、組織の状態も最高です。データを活用した新しい研究成果の発表と合わせて、いよいよIPOに向けた足取りが本格的に進んでいくと考えています。
まだまだ挑戦は始まったばかりですが、テクノロジーの力で業界の未来を変えていく。そんな思いを胸に、これからも邁進していきたいと思います。
<後編>に続きます。
【インタビュー後記】
まるで一つのドラマを見ているようでした。
今回のインタビューでは、これまで語られることのなかった「FULL KAITEN」ローンチ後の苦労や挑戦についても伺いました。スタートアップ経営の厳しさと、その中にある醍醐味が、生々しく伝わってきます。
30代半ばで会社員を辞め、起業という道を選んだ瀬川代表。その決断の背景には、「人を笑顔にしたい」という強い思いがありました。創業期のベビー服事業では、3度の倒産危機を経験。しかし、その試練の中から生まれたのが、現在の「FULL KAITEN」というサービスです。
苦境を乗り越た夫婦の絆。「小売業の社長を笑顔に」から「世界の大量廃棄問題を解決」へと広がっていったミッション。フルカイテンの歩みには、単なる事業の成長を超え、プロダクトや仲間に受け継がれる熱い思いが詰まっています。
キャリアの転換点に悩むビジネスパーソンにも、きっと響くものがあるはずです。
後編では、現在の組織体制や今後の展望について、さらに詳しくお話を伺います。
インタビュアー:カノープス株式会社 青山俊彦
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